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哲数物を学ぶ

本の感想が主,サブカルにも触れる

「一目で理解できるもの」を求め続ける現代人たち

現代社会には情報があふれているが,ここでは次の二つの分類の仕方で情報というものを区別してみる.

  • 一目で理解できる情報
  • 一目で理解できない情報

「一目で」というのは「一度読んだら(聞いたら)」という意味で考えてもらっていいだろう.
ここでは前者を 自明な情報 ,後者を 非自明な情報 と呼ぶことにする.
自明であるか否かは人それぞれの主観できまるものであるから,一人一人の異なる価値観によってこの分類がおこなわれる.

人間が行う知的活動は情報の入力と出力が必ず伴われるものである.自明な情報が入力されたときは,すぐに内容が理解できて次の思考作業に入れるが,非自明な情報が入力されたときにはそれを自分にとって自明な情報に変換する必要がある.

良い知的活動というのは自明でも非自明でもどんな情報でも吸収し,思考して自分が新たに創った思想,概念を言語,音,絵など何らかの方法を用いて忠実に表現することである.このような活動によって人間の知識の伝承,発展が行われるものである.世の中には自分にとって,自明な情報よりも非自明な情報の方が圧倒的に多く存在しているだろう.非自明な情報は知的活動をする(人間として生きている)うえで遭遇不可避なモノであるから,非自明な情報が入力されたときにはそれを理解しようと努力して,自分にとっての新たな自明な情報として変換できなければ十分な知的活動を行うことができない.

私がこの記事で問題にしたいのは「多くの現代人が非自明な情報を避け過ぎている.」という問題である.

テレビ,ゲーム,漫画,アニメ,ドラマ,映画,通俗小説などの所謂サブカルチャーメディアは人の感情を動かすことに特化していて,発信している情報のほとんどは多くの人にとっての自明な情報である.それらは人が認識した瞬間に内容を理解することができ,何らかの感情を引き出す.自明な情報を脳に入力している間は,脳の自発的な働き(精神作用の出力)は完全に停止している.

今述べた “何らかの感情を伴い,脳の自発的な働きが停止した状態” は中毒性を持つ.人々は「自明な情報はわかりやすくて面白い」などと言って自明な情報だけを求めるようになる.それに伴って「非自明な情報はわかりにくくてつまらない」と言って非自明な情報を忌避する.需要が増えれば供給も増えるのは社会の常であり,創作する者も「より多くの人に分かりやすいものを!」と考えてしまい,無理やりにでも他人にとっての自明な情報として表現してしまう.今ではサブカルチャー以外のところでも人々は自明な情報を過度に要求し,また供給するようになっている.
それは人の真の精神の出力によって築き上げられてきた本物の文化や学問大系の伝承,発展に大きな歯止めをかけることになる.

偉大な思想を表した古典,原書などは得てして多くの人にとって読みにくいモノが多い.天才的な頭脳を持った人が考えられる限界まで深く深く考え抜いて構築したものなのだからそれは仕方のないことだ.しかしその思想をもっとも忠実に著しているのはそれらを考えた天才本人が直接書いた古典,原書だけであるのだから,それを読むことを避けていてはその思想に近づくことはできない.
逆に,自分の思想を表現するときには他人にとっての分かりやすさなどは考えず,とにかく自分が考えた思想,概念に正確で忠実な表現方法を選ばないとそれらを学ぼうとしたものが近づくことができない.
偉大な思想ほど,後世の人がそれらを大衆向けに優しく書いた副読本みたいなモノがよく書かれるが,それはあくまで補助であり,その思想に2,3歩近づけるくらいである.まあ一歩を踏み出せただけでもその副読本は立派な役目を果たせているが,その思想の最も近くまで行きたいのなら原書を読むことは避けられないだろう.
他人が作り出した知識を自分が吸収するというのは本来困難なことであり,地道な努力は不可欠である.学ぶことを忘れた多くの人々はそのことを理解しておらず,「自明な情報以外いらない!!」といって群がってパーティを始めるのだ.

とにかく,ある知識を得ようとしたとき,その手に入れた情報が自分にとって自明か非自明かなど関係なくとにかく自分の知識として吸収しようと貪欲に勤勉でないといけない.
自分が新たに考え出した知識は他人にとっての自明か非自明かなど関係なくとにかく正確に忠実に表現しなければならない. そうやって今まで人類の知的財産が築き上げられてきたし,これからもその伝統を無くしてはいけないのだ.